確率と論理に関する疑問

考えると頭がパンクしそうなことしか書いてません(閲覧注意)
現実と数学モデルは、あくまで別世界。私はこれを納得できずに、大学学部4年間をフイにした。私は高校時代、算数や計算がけっこう得意だった。しかし、算数と数学(基礎)が別物であることに長い間、納得できなかったのだ。もちろん算数と数学は、全くもって別物。

それに気づいたものの、抽象的な議論が永遠(?)に続く数学に興味より疲労を感じた。私は職業的数学者を目指せば、精神的にも経済的にも自滅すると自覚した。要するに逃げ出した。

抽象的な数学モデルと現実を、完璧に知り尽くすことなんて人間にできるのだろうか?

私が数学を勉強していて、最もショッキングだったのは、自己言及のパラドックスゲーデル不完全性定理の存在を知ったときだった。ゲーデルも、天才数学者にありがちだが、超天才でありながら精神を病んでいた。

話はやや変わるが、私は確率論に疑いを持っている。

例えば、
「明日の降水確率は30%です」
という文は日常的にもよく聞くが、どういうことなのか?

明日の天気が晴れだったとしても、雨だったとしても、この命題は常に真である。命題が常に真でいいのか?

また、「この文は偽である」というよく知られた命題は、確率と組み合わせるとどうなるのか?
例えば、
「この文は40%の確率で偽である」
という命題は何なのか?これも意味不明。

ここら辺を、真面目に解説した(わかりやすくて基礎論的な)確率論の本があれば、読んでみたいのだが、まだ見たことがない。

  1. なぜ確率論は論理学の視点からの本がないのか?
  2. 確率を含んだ命題は、全て真!?本当にそれでいいのか?
  3. 自己言及のパラドックス「この文は偽である」に確率をもちこむとどうなるか?

現代流の確率論はコルモゴロフによって難解な測度論で論じられている。しかし、これら上の疑問については解説なし。

もう6年ほど、緩く考えているが、埒があかない。自分で真面目に考えようとすると発狂すると思うから私はしたくない。このようなわけで、私は確率論をずっとろくに勉強してない。これからも確率論を勉強したくない。