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あいまいな記憶

「記憶とは何なのだろうか?」ということを考えた。

この使い古されたネタを今日は、ぼんやり自問自答した。

私の出した答えはコレ。
『私の記憶らしき物は、キーワードや視覚等の情報をもとに、
 「現在」の自分が作り上げた、いい加減なイメージにすぎない。』

(最初にお断りしておくと、
出た答えは、ドクター苫米地や須藤元気氏の本に書かれていることと、ほぼ同じ。
ちょっと調べた所、本で先に書かれたのは、ドクター苫米地。
ただ私の読書経験としては須藤氏の本が先。
だから、今日のブログは三番煎じ。)


私は、他の人との会話を正確に思い出せない。

たとえば、1回の電話で会話を5往復くらいしたとする。
5分も経てば、記憶は非常に曖昧。
1時間経てば、キーワード3個と2文くらいしか思い出せない。
忘れるとまずいことは、メモを取るようにしている。
しかし、それでも過去の会話を全部正確に再現できない。

ときどき全ての会話を順序正しく、きっちり覚えている人に会う。
そういう人たちに対して、非常に恥ずかしいというか、申し訳ないと思う。
なぜなら、私はほとんど覚えてないから。私は会話を覚えようと思っても覚えられない。

記憶障害かと思われるかもしれないが、顔と名前は普通に覚えられる。
単語も、ある程度は覚えられる。
ただ、会話を覚えられない。頭の中で、過去の会話の正確な再現ができない。
文脈も非常に曖昧だし、数日経てば、当時の自分の喜怒哀楽を思い出せないこともある。

そもそも、過去の感情の記憶は絶対的な物ではないと思う。
私の記憶らしき物は、キーワードや視覚等の情報をもとに、
「現在」の自分が作り上げた、いい加減なイメージにすぎない。
したがって、私は会話,感情の正確な記憶や再現をできない。
どういうことになるかというと、思い出す度に記憶に少しずつブレが出る。

しかし、この記憶力の無さの自覚は、救いでもある。
なぜなら、
自分の過去の感情の記憶が事実でなく、イメージであるならば、
それは時間とともに変わっていくのが自然だから。

一つのイメージだけにこだわる意味は、ほとんどない。